生後1ヶ月徒然。

お久しぶりなようなそうでもないような。

坊やが無事1ヶ月を迎えたので記録としてメモというか雑感を。
(ちなみに今スリングに入ってくぅくぅ寝ております。人間カンガルー)

衝撃の入院も無事退院し、元気になった坊や。毎日よく飲み、よく出し、新生児微笑で周りを笑顔にし、たまに泣いて、よく寝て…そんな生活です。日に日にぷくぷく。ほっぺた宍戸錠。かわいい。愛おしい。
二人目の宿命ゆえ、娘に付き合わされて早くも公園デビューや児童館デビューを果たし、いつもキョトンとした顔でこちらを見ています。

1ヶ月、長いような短いような。子供達と過ごしていると確実に時空が歪んでいて、全くもって時の感覚がおかしい。おかしいです。

かわいい よりも生かすことに必死で、なんというか怒涛な1ヶ月。娘の時も思いましたが、それをさらに上回る人生の中で一番濃厚な1ヶ月でした。

そんなバタバタの毎日で、ふとした瞬間に感じる刹那感と永遠感に鼻の奥をいつもツーンとさせられ、夜眠らぬ子を抱きながら、この睡眠不足いつまで続くのかしらん?と白目を剥き、その一方でいつまでこの胸の上で寝てくれるのだろうか…きっと娘のようにすぐに大きくなってしまうのか…と寂しくなったり。忙しいです。

出産直後の自分に言ってあげたいこと

「びびってるだろうけど、想像よりはるかにしんどいよ。でも、想像より面白くて楽しいよ」

ということ。たまにこの先どうなるんでしょう?と先が見えないなぁと思うのですが、ま、日々一歩ずつしか進めないわけで。自分の手の届く範囲でしか何もできないわけです。

息子を産んで、良くも悪くも 諦めること を知りました。

できないことをやろうとしてもがいていたり、必死になって見たり。

それはそれで良いけれど、できないこと って確実に存在する。

それを認めて受け入れなければならないというのは、かなり辛いことでした。いや、だって今まで頑張れば出来ていたじゃない?という当たり前が全く通用しない。

でも、あるんですね〜。

しかし、やりたいことはもちろん山ほどあるんですが、今はこうして子どもたちと過ごす日々を選べてよかった。としみじみ思います。

月並みですが、二度と戻らない黄金期。やわらかくて、乳臭くて、あたたかい。一生のうちの数ヶ月。息子を抱っこしたまま赤ちゃん返りした娘をぎゅーっと抱きしめ、3人で昼寝をして、公園に行って季節が変わるのを眺めていると、なんて贅沢な時間なんだろうかと泣きそうになります。そしてその後の夕方のバタバタと夜の授乳に忙殺される。

あーしあわせだなぁ。

やりたいことがこの先ずっとできなくなったら…と必要以上に恐れていたのですが、赤ちゃんは赤ちゃんのままでは決してないし、できなければそれまでの、そんなに大切なことでは無かったのだろうし、道がわからなくなったら自分で作ればいいんだろう。

諦めたことでそんな風に捉えられるようになりました。

まだ時折、大丈夫かなぁ と思ったりするけれど、たぶん大丈夫。なはず。

自分が行けない場所にいる人を羨んで、苦しくなったりもしていたけど、今は、すごいなーみんな頑張ってるんだなぁー私も自分の場所でがんばろっと思えるようになったり。

いつかそっちに行くから待ってろよ!くらいに思っています。

落ち着いてきたホルモンの影響も大きいと思うけれど、それって結局

今自分も頑張っていて、しあわせである。

というところだと思うのです。

身の回りを整える というか、自分のこと、子どものこと、やるべきことに集中すること。(もはや心の余裕なくなり民藝もお休み中。ラジオも聴いてません。音源残ってるといいな)

しあわせかどうか、笑顔かどうか決めるのは他者ではなくて自分自身で、他者はコントロールできないけれど、自分のことはコントロールできる。

自分を信じること これに尽きる気が。

体力、気力ともにかなり使い果たした産後1ヶ月での学びです。

子育ての基本って《待つ》ことなのですが、待つことがとにかくできずにそのまま大人になった私。

待つくらいなら帰るし、要らないし、待たせるのも嫌。

もうこれはどうしたもんじゃろーと思っていたところ、こんな言葉に出会いました。

大好きなミヒャエルエンデの『モモ』の考察。


《待つとは、相手の存在を心に入れ続けながら、それでも相手の応答を急かしたり、勝手に決め付けたりしないでおくことを意味している。したがって時間を持っているということは、自分のペースで時間を使うことをせず相手のペースのなかに自分の時間を差し出すことを意味していることになるだろう。待つことは自分の計画通りに時間を使うことの断念を求める》

出典 生越達 《「モモ」における時間性:教育における時間再考》

ぱーっと霧が晴れたよーな。待つ を理解できたような。待っているんだけど待たなくていいのか。みたいな。感覚的ですが。

いままで、待っていると思っていたけど、待っていなかったんだなぁと反省したり。

なんだかなんだか、子どもたちに教えられる日々。

手のひらの中のちいさなしあわせを見つめる日々です。

そんな1ヶ月。

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