新月の夜に。

あっという間に(毎回言っているけれど本当にあっという間なのです)

39週に入りました。とはいえまだまだ生まれなさそう。なんとなく2人目だし早いかな〜と思っていたら、旦那さんも帰ってきて、私がゆっくりできるようになったからかはわかりませんが、お腹の中が楽しいようです。

一回出てきてしまったらもう二度と戻れないから、まぁ満喫しておきなよ。

なーんて思いつつ、娘の時より大きくなったお腹が重くて重くて、少し動くと、ふー…と息が上がります。早く出てきて欲しいけれど、お腹の子の一番良いタイミングがいいなと、もうここまで来たらどっしりと待つつもり。

ほんと、いくら高度化された社会でも、このしんどさは変わらないのか(無痛分娩だって痛いし、つわりの特効薬は開発されないし、出産の日は誰にも予想できないし、出産後の体のダメージってトラック轢かれたくらいらしい)と考えると、いきものってすごいなぁと思わず笑ってしまうほど。

そんなこんなで新月の夜。おわりとはじまりの夜です。

満月がそわそわしたり、気性が荒くなる分、新月は面倒なことはぜーんぶ放り投げてというか、重いものは持てないようになっているのか、体の力が抜けていきます。今までそこまで意識したことなかったのに今回は特に。
迷いも、悩みも全て置いて置いて、プールで泳ぐわけでもなく上を向いてぷかぷかと浮かんでいる感じ。

ここ数ヶ月、最後の追い込みかのように目まぐるしく動いていたので、ついに動けなくなったかという感じ。

これはこれで、想像していたよりも全然怖くなくて、なってみると心地よさすらあったり。

多分蛹になった芋虫や冬眠中のくまってこんな気持ちなんだろうな。

周りはすごいスピードで動いているんだけれど、水の中に入ったように、ぼやけていてうまく捉えられない。聞き取れない。

いままでは私もあちらがわにいたはずなのに。

読んでいた本も置いて、ただこうして頭に浮かんだ「なんとなく」を書き留めています。

後から見返すと面白かったりするので、記録として。

朝起きて、窓をあけて、ごはんをつくり、みんなで食べて、掃除して、娘と遊んで、少し眠って、ごはんつくって…

の繰り返し。でもその繰り返しの中にたまに喜びがあることを再発見したり。

その中で手に取る、自分が今まで選んできた道具たちや、身の回りにあるモノを改めてじっと見てみたり触ったり。

ゆっくりとご飯を食べたり。

立ち止まらなければ気づかなかったことに、気づく日々。

それはまた穏やかで面白いものだと改めて気づく。

見えなかったもの、というより、視線がいかなかったものに目を向けること。

自分の中にもともとあるものを一度見てみること。

足元の草のように、頭上の雲の形のように。

たとえば娘の足の大きさだったりもする。

変わらない ものはなにひとつとしてないということ。

変化を必要以上におそれないこと。

戦わないこと受け入れること。

受け流すことじっと待つこと。

どうしようもないことを知ること。

変わらないけれど季節は巡ってくること。

毎日、日々朗らかに、健やかに、幸せに暮らせるかどうかは自分次第であること。

ぼや〜っとした頭に浮かんで来ることたち。

通常営業ならまず考えられないし、受け入れることすら難しいことすら
こうして考えてなんとなく頭ではなく心で理解しているのは、お腹の中にもう一人いるからなのか。もう待つ以外に選択肢がない今の状況がそうさせているのかはわからないけれど。

こんなことを私に考えさせるなんて…やっぱり出産はオオゴトだと思う夜なのでした。

そしてそうして生み出されてきたのだから、どんな人でも大丈夫だよ。って、もっとみんなわかるといいなぁと思う変な夜。

私も含めて、みんな大丈夫、大丈夫って言ってもらいたいんだろうな。

大丈夫、大丈夫。

博多のスナックの嫋やかなママが、営業がうまくいかずに接待で悪酔いし、打ちひしがれる私の肩に手を置いて

「忘れないでね、ケ・セラ・セラよ。大丈夫。こんな日を笑える日がくるわ。女は強いのよ」

と菩薩のような顔で言ってくれたのも新月だったかな、なんて思い出す夜なのでした。

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