改めて、わたしにとって民藝とは。

私が民藝を意識したのは、いつだろう…と考えていました。学生時代に買った小鹿田焼の湯呑み?いえ…きっともっと前。小学生の頃、張り子の狐のお面が欲しくて欲しくて、親にねだって探し回り…浅草の民藝屋さんで見つけてやっと手に入れたことを今でも覚えています。プラスチックのお面じゃ嫌で、張り子でなければ嫌で。きっとそれが私にとって初めて意識した手仕事。今思えばプラスチックのおもちゃも好きでしたが、銀杏細工やガラス細工など、どこか少し不恰好だけれども味わいのあるものが大好きでした。父の買ってきてくれたビードロのキラキラとした美しさ。なんとも言えず心惹かれました。

そんな子供がこうして大人になり、民藝と戯れているのは、三つ子の魂なんとやらだな…と合点がいったのでした。

閑話休題。

ではなぜ民藝がそんなに私の心を捉えて揺さぶっているのか?

もちろん美しいから

それによって生活がより潤い、豊かになるから

というのはもちろんなのですが、私にとって民藝とは

人と自然が古来から持続的にうまくやってきたしるし

自然と人とがいかにうまくやっていくかの一つの解

そしてその解はこの上なく美しくて実用的

そういう意味合いがあります。(友人たちには恥ずかしくて面と向かっては言えないのですが)

私のライフテーマに、人と自然がどうやってうまくやっていくのか。というものがあります。環境問題について考えたり、人と自然の距離をどうやって近づけていったらいいかと考えたこともありました。結局人なんて自然の中からはみ出てしまって、その輪に戻ることさえできないのか と思ったり、いやいや人間も自然の一部なんだと思ったり、長年、自分の中でモヤモヤしたものがありました。

そんな中、私に一つの答えを与えてくれたのが民藝でした。

ふと手に取る籠、茶碗、これらが、その土地の恵みを使って、人の手によってつくられたものたちを手に取ると、なんともいえない、あたたかな気持ちになるのです。

その感覚はなんだろうと思っていた時に、このブログでもご紹介させていただいた、中川原さんとお話しする機会に恵まれました。

「山の恵みに感謝して、 ただ自分は、カゴをつくるだけです」

民藝界の中でも有名人で、素晴らしい腕前を持つ中川原さんは、どこまでも謙虚で自然に対する感謝の言葉を口にされていました。

そうしてつくられた籠からは、森の香りがして、姿形からは蔓本来の良さ、私が森で見た植物たちの美しさが存分に感じられたのです。

それから民藝のものたちをみてみたら…その土地の素材を生かす造形、用途…

真摯にで自然に向き合ってきた先人たちと自然によって出来、継がれてきた美しい使いよいものたち。

その民藝のものたちを、愛さずにはいられません。

このブログでは、そういったもの、そしてそれらに出会える場所をこれからも紹介したいと思っています。

娘が生まれて、この先娘が生きていく側に民藝の、手仕事のものがあってほしい、そう願うようになりました。

私にできることを模索しつつ、まずは微力ながらこのブログで民藝の素敵さを伝えて生きたいと思うのでした。

2 thoughts on “改めて、わたしにとって民藝とは。

  • 2017年12月20日 at 2:50 PM
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    あぁなんて素晴らしい文章なのでしょう…。
    そうです!そうなんです!
    私にはとても言い表せませんでしたが、土地と自然と人間と、民芸。
    なんだかとても腑におちました!
    あ、初めましてなのに、失礼いたしました。
    これからじっくり読ませていただきます(^^)

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    • 2017年12月20日 at 9:16 PM
      Permalink

      こんにちは。ありがとうございます!とても嬉しいです。ゆっくりな更新ですが、見ていただけると有り難いです。

      Reply

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